自分の可能性を広げるためのアプローチの方法

現代のように社会や技術の変化が激しい時代ですと、自分から攻めていかないという選択肢を選ぶ方々ははキャリアを維持することはできなくなっています。

一昔前はこれも社会人になってから考えればいいことでしたが、私は受験生の時から考えた方がいい時代になっていると思います。なぜなら、高校や大学から考えることが大学卒業後の可能性を広げることにつながるからです。では、どのように自分の可能性を広げて行けばいいのでしょうか。

1、同年代の人間の大多数がやっていることに手を出さない。
「みんながやっている」というのは子供の頃は強い動機になりますが、大人でこれを動機にすると痛い目に合います。なぜなら、「みんなができる」ことは必ず供給過多になるので、インフレになります。あなたがそれをできるようになったころには、それができることでは全く市場で評価されないことでしょう。みんなができることをやっている暇があったら自分しかできないことをやるために時間を使いましょう。
ただ、「自分しかできないこと」というのは何もオリジナルであったり、独創的であったりする必要はありません。才能に溢れた人はそれができると思いますが、凡人には無理です。凡人が独創性を求めると誰にも評価されません。独りよがりです。
やり方はいろいろあると思いますが、私のアプローチの仕方は、やる人が少ないこと同士を組み合わせることです。「10%の人しかできないこと」と「30%以下略」を組み合わせれば、「3%以下略」になります。さらに、それに、「50%以下略」を組み合わせれば、「1.5%の人にしかできないこと」になります。組み合わせは無限です。組み合わせの相性なんて、短期的視野で見たものに過ぎないです。組みあわせるものは遠ければ遠いほどいいです。ちなみに私の武器は「日本人」「防大卒」「レスリング経験」「日本の製造業で技術職」「サーフィン」「書道歴1年」「そこそこの英語」「中途半端なスペイン語」です。常にマニアックな路線をやってきましたし、それぞれの分野ではそこそこでしかありませんが、これらのことを組み合わせて、それが通用する環境に身を置くことで、効果を最大にすることを狙っています。

2.努力に頼らない。続けられる環境に任せる。
  日本人の好きなものベスト1は努力ですが、実際は努力マンよりラッキーマンや勝利マンの方が強かったりします。私は勉強や部活で成果がでないのは努力不足であるとは思いません。うまく行かない要因の1番大きなものは環境にあります。人間は環境に適応する生き物です。意思の力なんて、環境に対しては無力です。飢饉ではいくらやせ我慢しても餓死するし、どんなに革新的な理論でもそれを発表する場がなければうずもれていきます。スティーブジョブズ個人を評価するよりも、彼を生み出し、再起を許したアメリカの本質的強さを評価すべきです。あなたが勉強できないのは家庭のせいで、仕事ができないのは会社のせいです。これについて努力教の信者には納得できない人もいるでしょうが、スラム街でいつもお腹をすかしている子供達には努力するチャンスすら与えられません。日本に生まれたこと自体が大きなチャンスであり、そこで生み出した成果はあなたの努力のみでなし得たのではなく、日本という国家や両親からのDNAによることが大きいです。
では、成果を出すためにはどうすればいいのか。家庭や会社を変えますか。それもいいでしょう。でも、そんな提案は現実的ではないので、現実的にできることを提案します。
  それは調子のいい時の環境を擬似的にというか意図的に作ることです。
まず自分が調子がいい時の要素を考えましょう。「夕食が自分の好きなものだった」「好きな人と今日は10分話すことができた」「早起きして、朝から気持ちよかった」「大嫌いな部長を見かけなかった」など、まあなんでもいいです。それがあなたが調子の上下をする要因です。なるべく、これらの要素をいい方向に持っていくように行動することで、おのずと調子は高いままで、一定します。
ただし、いいこともやりすぎると慣れるので、3割くらいは悪い方向にも定期的に持っていくことも大事です。私が会社で働いていた時は、頭を使う仕事がある時は人が少ない「会社から離れた工場」や「早朝の会社」を選んで仕事をしていました。また、サーフィンをする時には、自分の調子を測るために毎回同じことを同じ回数やって、その結果で今日の海の状態と自分の体の調子を見て、自己評価をしていました。

3.1年やって芽がでなければ才能がないので、あきらめる。
  人間は生まれる前は無限大の才能がありますが、生まれてから死ぬまでに収束しつづけます。つまり、赤ちゃんの時が可能性の最大値でそこからどんどん可能性を失って行きます。なぜ失うのかというと、それは年齢が上がるにつれて、選べる選択肢が減るからです。また、子供の時からやっていた方が大人から始めるよりもいい場合もあります。大人になるとそれまでの経験でやったことがないことをうまくするという術もできるようになるので、一概には言えませんが。
  時間は有限ですので、才能が人より劣っていることに時間をかけることは大きな無駄です。ただし、やってすぐにできないからと言って才能がないかどうかはわかりません。どんなものでも最低1〜3年はやって、真面目にやっててできないことに疑問を持ったらやめましょう。下手くそでも自分のやっていることに疑問を持たずに続けることも長期的には才能の開花があるので、そういう人がいたら、そっとしておきましょう。




私が日本にいた時に書道を習っていたのですが、その時にすごく書道のうまい高校生がいました。彼女は高校の成績は下から数えた方が早い人で、それを書道の教室の時によく話題になっていたのですが、私から見たら、「書道の上手さ」が「高校の成績がいい」ということよりも圧倒的に市場価値が高いと思っていました。警察官になれば、捜査本部の看板を書ける。海外に行けば日本食レストランのメニューを書けるし、外国人から自分の名前を書いてくれるように頼まれるでしょう。どれも、「成績がいい」だけの人にはできないことです。成績がいいことなんて、なんの市場価値もないのに、今だに多くの企業、学校がこれを重視しているのは評価する側が自分の評価に対して無責任になっているからでしょう。だって、何かあったら学歴や成績で選んだから自分は悪くないって言えますから。

また、メールやSMSが主流の時代には多くの人は字を書かなくなって、字が下手になるので、相対的に字がきれいな人の評価は上がるでしょう。高齢化社会が進めば、老眼の高齢者から遺言状の代筆を頼まれるかもしれない。

デジタルはアナログの情報をゼロとイチの記号にすることで、重量と距離を無くすことで革命を起こしました。19世紀にはオーケストラや写真家や郵便配達がいないとできなかったことが、今やポケットの中のスマホ一つで済みます。しかし、誰にでもコピーできるデジタルの特性は逆にデジタルの元となるアナログ情報を生み出す才能のある人の価値を相対的に上げます。違法コピーされるミュージシャンのライブのチケットは高騰しますし、コピーして配るだけの出版社よりもオリジナル作品を生み出す漫画家の方が発言権は強くなります。そのうち価格も絵画のように面白い作品と面白くない作品で同じページ数で値段が変わるでしょう。

まだまだ日本は企業や国家が強いですが、私は個人が企業より強い時代がすでに来ていると思います。そんな時代には「どこに所属しているか」より「何ができるか」が評価されます。勉強なんかしてる暇があれば、芸を磨いた方が自分のためになります。なにより、自分が好きなことをやっているのはどんな結果になっても自己責任ですから、気持ちよく死ねる。

努力が好きっていう人はこれからは評価されなくなるでしょう。