海外で恥をさらす日本人を見て、所感

前回中二病をこじらせた日本人の若者に出会った。 - clokawa's diary
続きなんですが、コロンビアで出会った日本人青年を見て、いろいろと考えさせることがありました。
今回はそれについて話します。


①旅の恥をかき捨てるのではなく、恥をさらすことは違う。
「旅の恥はかき捨て」と言いますが、辞書をひくまでもなく、恥をかいてから捨てなきゃいけないんですね。恥をかくということをあえてする。やってことのないダンスを見よう見まねで挑戦する。見知らぬ美女に自分から話かけてみる。つまり、未知の体験に対して自ら飛び込むことを言います。
しかし、「恥をさらす」というのは挑戦もすることなく舞台を降りたり、できないことをできると言ったり、見苦しい行為です。「できないこと」が恥ずかしいのではなく、「できないことに挑戦しないこと」が超恥ずかしいということです。イギリス人がホステルのパーティでサルサができないからって言って、誘いを拒否していましたが、こういうできないから挑戦しませんって姿勢は文明の進捗を問わず、古今東西チキン野郎として侮られます。
あと、現地のダメな人がやっている行為を現地の人がやってるからと言ってマネするのも、馬鹿です。せっかくお客さん扱いで上に置かれているのに、現地のダメな人と同じことをやってたら、下に置かれますよ。「周りがやってるから自分もやる」という動機は私にはいかんとも理解しがたいのですが、小学生並みの知能に合わせてアドバイスをあげますよ。「じゃあ、周りが自殺したら、一緒に自殺するんですか?」、本当こういうのってバカだなーと思います。周りと一緒が好きなら、日本にいる方がよっぽど合ってます。

②先人のイメージを毀損する行為はすべきではない。
日本に対してのイメージはすごく神秘的で不思議な国というイメージがあります。海外にいけば、一人一人が日本代表です。ひとりひとりの行動が日本人全体のイメージにつながります。私はこのイメージを利用してやろうと思っていて、なるべく外国人の夢を壊さないようにしています。なるべく武士っぽくふるまいます。語尾には「ござる」一人称は拙者を使うことにしています。ただし、海外を放浪する日本人がよくやるチョンマゲは汚らしいのでやりません。


③周りに流されると大変なことになる。
「水は低いところに流れる」と言います。しかし、日本であれば周りや親御さんが助けてくれますが、海外では誰も助けてくれません。「こいつは落ちるとこまで落ちるやつだな」と思われたら寄ってくるのは金目当ての人間だけです。金もなくなったら、野垂れ死ぬだけです。
私は海外で、マリファナや麻薬をやることは好きではありません。あれは貧乏人の娯楽であり、ガス抜きです。そして、麻薬は人生を台無しにする効率のいいシステムであり、マリファナはその予約券です。はっぱは中毒性があり、脳のシステムを破壊してしまいます。中毒って自分の意思ではどうにもならないから中毒なんですよ。少なくとも、どこまでがやっていいところか、やったらあかんところかの分別がついている人でないと、下りの螺旋階段を転げ落ちるだけです。


④ビジョン無き旅に到達点はない。
文字通りです。目的がないならば、その旅に意味はありません。意味のない旅が悪いのではなく、意味のない旅を無理やり、「自分が成長した」とか「世界の広さ」を知ったと言って意味づけすることを否定します。意味のない旅で別にいいじゃないですか、ウチの両親なんか毎回温泉でのんびりしてますよ。そこに意味ってないでしょう。
「自分探し」の旅も無意味です。鏡をみてください。それで終わります。


★★★★★


旅は私は好きです。しかし、私の好きな旅はアウトプットのある旅です。何かをただ見て、聞いて、食べて、それで終わると、インプットだけの旅です。そうではなく、自分の国の文化を見せて、教えて、食べさせて、それがアウトプットの旅だと思います。インプットの旅は日本が高度経済成長の時代の旅行と同じレベルです。つまり、おのぼりさんです。私は日本は既に先進国であり、成熟した文化を持つ国であると考えています。そのため、他の国では洗練したふるまいをすることを決めています。夜遅くまでダラダラ呑まない。自分のやるべきことはしっかりする。早寝早起きする。
というか、逆に俺様が教えてやるよ。人生の意味を、より豊かになるにはどうするかを、とさえ思っています。それは慢心だと思われますが、グローバル化ってたぶん、そういう文化の交換にあると思います。一方的に押し付けたり受け入れたりするのではなく、お互いのいいところを見習い尊重する。
まあ、尊重しているかは疑問符がつきますけどね。